こんにちは。ハルちゃんです。
今回は新しいテーマにチャレンジしまして、仏教のお話とそこから垣間見える心理学メンタルヘルスと通ずる考え方をお伝えしてみたいなと思います。
皆さんは、仏教ときいてどのようなイメージをされるでしょうか。あまり接点のない方であれば、セレモニーや節目の法要等を想像されるのではないでしょうか。中には御朱印集め等で各地のお寺さんに足を運ばれる方もおりますね。ちなみにハルちゃんは庭園や立派な樹木、建物の造形美を求めて神社仏閣には折々で行きます。参道のお店も楽しみのひとつです。柴又帝釈天の草団子は好物です。そういう意味で結構身近にある仏教ですが、日本においてその具体的な思想、考え方をきちんと理解している人は少ないと言われています。
さて、今回はそんな仏教から人生を生きやすくする為の知恵をお借りしてみようと思うのです。まずは、仏教について軽〜くご紹介します。
注)本記事の内容にはハルちゃんの個人的主観に基づく考察が含まれておりますので予めお含みおき下さい。
仏教について
仏教の始まりは紀元前5世紀に遡ります。当時のインドのゴータマ・シッダッタ(←お釈迦様のことです)という人物が起源となります。
その教えは
❝苦しみからの解放❞
を主旨としています。
ゴータマ・シッダッタの教えは口伝により伝えられ、それがやがて文書化され、中国に伝わり翻訳されたものが『お経』になります。
その後日本に伝わり、現在に至ります。
『ブッダ』又は『仏陀』といった名称は
❝目覚めた人❞
を意味しており、仏教の教えの到達点に至った人をいいます。
ただ、一般的にはゴータマ・シッダッダをブッダと呼ぶことが多いので、ここから先はゴータマシッダッタのことをブッダと表記して進めてまいります。
上記で、仏教の教えは
❝苦しみからの解放❞
と申し上げましたが、それは言い換えれば
❝人生を快適に生きる❞
と捉えることができます。
仏教というと、中には厳格なイメージを持つ方もおられるかもしれませんが、快適に生きる為の知恵というとても人に優しい教えであると考えることができます。
世界一幸せな国家といわれているブータンの国教は仏教というところも理解できるかと思います。
*ちなみに、以前『菜根譚』の記事をあげたときにご紹介しました通り、中国では儒教、道教、仏教は『三教』といわれています。
このように、仏教には人生を生きやすく歩むための教えがあります。
そして、今回は下記にご紹介するエピソードからその教えを考えていきたいと思います。
矢の話
ブッダと弟子との会話の中で出てくるエピソードで有名なものに『第二の矢』というのがあります。
ブッダはその教えを実践的に活かしている人とそうでない人との違いをこの『第二の矢』という表現を用いて説明しています。
ブッダの教えを活かしていない(又は知らない)人は最初の第一の矢を受けるやいなや、取り乱し慌てふためき2発目の第二の矢を受けると説いています。
一方、ブッダの教えを活かしている人は第一の矢こそ等しく受けますが、冷静に対応することで第二の矢を受けずに済む、といっています。
これは、第一の矢を人生で遭遇する避けて通ることが難しい諸々の事象に例えているのです。第二の矢というのはその事象に対する不適切な反応から生まれる弊害、さらなる苦しみといった事象と捉えることができます。
ひとつ事例を挙げてみますね。
ある雨の日に、道を歩いていたら車から通り過ぎざまに泥をかけられてしまいました。泥は見事に衣類にかかってしまいました。これが第一の矢です。さて、ここからです。ブッダの教えを身に修めている人は「お、いかんいかん。この後服を洗わないといけないな」とでも呟き冷静にタオル等でかかった泥を拭います。それで終わり。ではそうでない人はどうでしょう。「ちくしょう!あの車腹が立つな!」と怒り、暫く怒りの感情に支配されてしまうのではないでしょうか。さらに、下手をすると注意力も散漫になったところで転んで怪我をしかねません。
こうした
❝怒りの感情に支配される❞
❝その影響で転んで怪我をする❞
といったことが第二の矢に相当するといえるでしょう。
いかがでしょうか。
物事は解釈のしかた次第でその結果が変わってくることを示していますね!
さて、ここからは第二の矢の考え方を心理学の理論に当てはめて生きやすさを考えてみようと思います。
イラショナルビリーフを改善して第二の矢を躱そう!
今回の第二の矢の内容を知って真っ先に連想したのが、『論理療法』です。
以前、ひとつの記事としてご紹介したことがあります論理療法のABC理論なるものがあります。ここではざっくりと説明いたします。詳しい内容は過去の記事をご覧いただければと思います。
*過去の論理療法の記事はこちらのリンクからご覧になれます。
論理療法はアメリカの心理学者
アルバート・エリス(1913-2007)
が創始した心理療法です。
論理療法では悩み等の心理的な負荷について、その原因を起きた事象に対する解釈とする立場をとります。その中に『ABC理論』というものがあります。
Aというのは起きた出来事、事象
Bはビリーフといって、個々人の信念や固定観念といったものを指します。
Cは結果。
論理療法ではBのビリーフ変容をひとつの目的とします。
このビリーフが適切かどうかでその結果であるCは大きく異なります。
ビリーフには2つありまして、
❝事実に基づく合理的、論理的な思考であるラショナルビリーフ❞
と
❝事実に基づかない非合理的、非論理的なイラショナルビリーフ❞
があります。変容するべきは当然イラショナルビリーフになります。つまり、イラショナルビリーフをラショナルビリーフに改善するということになります。
イラショナルビリーフの考え方の特徴として、「~ねばならない」とか「~であるべきだ」といった考え方が挙げられます。また、過度な決めつけや思い込みといったこともイラショナルビリーフに該当するといえるでしょう。
日々繰り広げられる人間関係という荒波によって生きづらさを感じているような場合、こうしたイラショナルビリーフが影響していることもあります。
ここで見出し名の主旨を解説しますと、
起きた事象、すなわち第一の矢といえるAを受けた際のBの考え方次第で結果のCで第二の矢を受けることになり得るということです。
簡単な例を挙げます。
例えば、職場のとあるメンバーがひどく怒っているようで声を荒げている状況を想像してみましょう。
それを見て
❝あれは自分のことを言っているに違いない❞←イラショナルビリーフ
❝この後絶対自分に何か文句を言いにくる❞←イラショナルビリーフ
と、パニックになります。これがイラショナルビリーフの一例になります。こうした極端な考え方は認知行動療法では『認知の歪み』といわれています。
では、ラショナルビリーフの人はどう捉えるでしょうか。あくまで一例ですが下記のように解釈するのではないでしょうか。
❝何か揉めているな❞←ラショナルビリーフ
といった風に事実のみにフォーカスします。人によってはだたの音声と割り切る場合もあるかもしれませんね。
勿論、この事案が本当に自分と関係していて直後にその人が文句を言いに来る場合もあるかもしれません。
しかし、こうした際でもイラショナルビリーフの人とラショナルビリーフの人とでは感じ方、捉え方は大きく異なるでしょう。なので、その対応も当然変わってきます。
いかがでしょうか!
この論理療法に出てくるイラショナルビリーフは上記でご紹介しました第二の矢を被弾する要素となることはおわかりいただけたと思います。そもそもイラショナルビリーフによって悩み苦しむこと自体が第二の矢を受けることと同じなので、お心当たりのある方は今一度自身の思考の特徴を見つめてみると良いでしょう。
おまけ
仏教の考え方をテーマにした内容は昨年の夏くらいから考えていたのですが、その後色々バタついて記事にできずにいました。①があるということは、当然②以降のシリーズ化を視野に入れています。投稿は不定期となりますが、今後も色々やっていきたいと思っています。
~最近の出来事~
マイナポイントの第二弾があるようですね(今更感ありますが💦)。なんでも、マイナンバーカードの健康保険証としての利用申込み(と公金受取口座の登録)が要件とのことなので健康保険証への利用申請を先月にやってみました。一回目のマイナポイント申請は結構時間がかかった(私のやり方がよくなかったのかな)のを覚えていたのでどうだろうと思いましたが、なんと!スマホで5分もかからず完了しました!これで7500円相当のポイントが受け取れます(いつ頃もらえるんだろう(≧▽≦))。 ちょっとしたお小遣いですね。
あと、今月2月は確定申告の時期でもあります。ふるさと納税の申告も忘れずにやらないとですね。
今回は以上になります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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